記憶の中
母とはコロナ後一度も逢っていない。
電話だけのつながり。
母がたまに口にする、
「お母さんがいなくなってもちゃんとやっていける?」という問い。
「大丈夫だよ」
と、答えるけれど
「ちゃんとやっていける」というのは、どういうことなのだろう。
経済的なことなのか、精神的なことなのか。
いなくなる予行演習をさせて、私を鍛えているのか。
本番で哀しまないように。
幼い頃に見た景色が目の前に広がる。
田んぼが青々としていて
小さい自分にとっては広大な、ずっとずっと世界の果てまで続きそうな光いっぱいの緑。
カエルの鳴き声。川の水音。
あの場所は、今もあるけど
人はほとんどいなくなってしまった。
私の「幼い頃」なんて
祖父が生きた時間から見たら
つい最近 なのだろう。
それでもこんなに遠くに感じるなんて
いったい90歳や100歳を超える人たちが思い出す「幼い頃」は
どれだけ遠いのか。
遠すぎて案外近く感じるのか。
その記憶は果たして定かなのか。
もう夢のようなものなのかもしれない。
いなくなっても、ちゃんとやっていけることは、間違いない。
だけど、
私の目に映る世界は以前とは変わってしまうだろう。
そうやって、何度も別れと出会いを繰り返して
淡々と
生きていくのだ。
目に映る世界が変わっても
記憶の場所はずっと変わらずそこにあって
人もたくさんいて賑やかで。
心の中だけで
いつまでも生き続ける。